他人の「できない」に洗脳されない
ある時、仕事で数学的パズルが発生しました。
その場にいた何人かの中で一番イイ大学を出て、イイ仕事するイイ男がチャレンジした結果、
「これは無理だ。このパズルを解くのはあきらめよう」となりました。
別の方法を探し始めた時、1人のおじさんがパズルに挑戦し始めました。
誰かの「それはもう諦めることになったんですよ」というセリフも気にせず
チャレンジし、見事にパズルを解きました。
「私は高卒だけど、できる誰かができないと言ったからって
試しもせず、自分もできないと思っちゃだめだよ。」
安西先生がダブってみえました。(体型的な意味で)
□他人の言葉に洗脳されていることに気づく
イイ男が実は大したことがなかったという話ではありません。
彼は自分が検証した結果、時間をかけるよりは、という判断のもと
次の案を考えることを選びました。
問題は、「そうか。彼が無理なら無理なのだ。」と思った周りの人たちです。
私もおじさんの言葉通り、「実力ある人がダメだと言った」ので
「自分でチャレンジすることなく」思考を放棄していました。
仮に、これが自分の得意分野だったら、誰が止めても挑戦したと思うのです。
けれど、仕事というジャンルでは(仕事だからだけど)
あっさりと思考も挑戦も放棄したのです。
日常的に様々な場面で、無意識に他人の言葉に左右されているとしたら
もったいないし、場合によっては怖いことです。
□責任をとれるのは自分だけ
たまにこんな話を聞きませんか。
「スノーボード初心者なのに、上級者コースのてっぺんまで連れていかれて
降りられなくなって困ったんだよね。」
「大学のサークルで一気飲みさせられて、気づいたら公園で寝てた。」
無理強いするほうも悪いけど、上級者コースまで付いていったのも
お酒を飲み過ぎたのも全部自分です。
他人は責任をとってくれません。
断ることも、上手に回避することも方法はいくらでもあったはずです。
もう一回いうと、
付いていったのも、飲んだのも、全ては自分の責任です。
他人の言葉に耳を傾けることは大切ですが、
他人の言葉に身を委ねてはいけません。
いつか、取り返しのつかないことになるはずです。
自覚があるないにかかわらず。(アイヒマンテストを知っていますか?)
□人のいうことを聞く ≠ 人の言うことに従う
人の言葉を聞いて、自分で判断することと
人の言うことに盲目的に従うことには大きな隔たりがあります。
その一つに「事業主になろうと思う。」があります。
大抵の人は「安定した大企業にいる方がいいよ」と思うでしょうし、それも事実です。
が、私のように満員電車がいやでいやでいやでいやでしょうがない人間や、
自分の時間を大切にしたい人には、前向きに検討する価値のあることだと思います。
その分リスクも大きいですが、可能性を放り投げることはしないで
ちゃんと考えてもいいかな、と思ったので記事にしてみました。
「他の誰かができないと言ったからといって、自分もできないと諦めてはいけないよ。」
おっさん、いいこというな~。
いつか宝くじが当たる気がしてきた。
ご高覧に感謝します☆
こちらは上手に洗脳する側になれる本