『モモ』 考えさせられる児童文学

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と図書館でぶらぶらと渉猟していたら、子供の頃に読んだ懐かしい本を

みつけました。

ミヒャエル・エンデの『モモ』という物語をご存知でしょうか。

当時は、表紙の絵の暗さになかなか手がでなかった記憶があります。

物語の一部を抜粋するので、未読の方はご注意ください。

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□ミヒャエル・エンデ 『モモ』

本の表紙にある紹介文です。

「町はずれの円形劇場あとにまよいこんだ不思議な少女モモ。

町の人たちはモモに話を聞いてもらうと、幸福な気持ちになるのでした。

そこへ、「時間どろぼう」の男たちの間の手が忍び寄ります……。

「時間」とは何かを問う、エンデの名作。」

『モモ』は、イタリアにあるような円形劇場を舞台に始まります。

やせっぽっちのみすぼらしい身なりのモモには特別な力があります。

大人も子供もモモに話を聞いて欲しいし、傍にいて欲しくなるのです。

モモは特に何かをするわけではなくて、ただ「聞き出す」力があるのです。

例えば、大ゲンカしていた二人の男性は、みんなに「モモのところにいってごらん!」

と勧められて、モモを挟んで会うことになります。

改めて口喧嘩が始まりますが、モモは困惑して2人をじっと見つめます。

男たちはふいに「じぶんのうつった鏡をつきつけられたきもちがして、はずかしくなり」ます。

最後にはけんかの原因が 気持ちの行き違いがあったことに気が付いて仲直りをします。

モモはそんな「相手の心を聞き出す」力を持っていて

そのために「時間どろぼう」と戦うことになるのです。

□『モモ』の不思議な世界

この作品の主人公モモは雄弁には語りません。たいてい囁くように話します。

むしろ他の登場人物たちのほうが口数が多いような気がします。

それに後述の「時間どろぼう」や他の存在がパワフル過ぎて気になります。

モモはというと不思議な力がありますが、モモが意図的にそれを使えるわけでもなく

ただモモの周囲の人が漠然と感じるくらいです。

モモにもつ違和感?魅力?は何か不思議な感覚です。

そして作者の主張が物語に堂々と紛れていることに、新鮮さを感じます。

作者のエンデが

喧嘩やその他のうまくいかないことはコミュニケーションが足りないのだ、

相手の事情を聞こうという姿勢が足りないのだ、

現代人は何か大切なものを忘れていないか、と語りかけてくるようです。

エンデは『モモ』を通して「色々」と、次世代の担い手である子供に向けて物語を

作っていたのかもしれません。

この「色々」は、読む人それぞれに違うのだろうと思えるのがこの作品の

器の大きさなのかもしれません。

□「時間どろぼう」は優秀な営業マン

「時間どろぼう」は灰色の紳士の姿をしてやってきます。

ある日、何の前触れもなくやってきて、葉巻をくゆらせながら働く大人たちに囁きます。

「いいですか。あなたはあなたの人生を浪費しています。もしあなたがちゃんとした暮らしをする

時間のゆとりがあったら、あなたは今とは全然違う人間になっていたでしょうね。

ようするに、あなたに必要としているのは時間だ。そうでしょう?」

こんな風に聞かれたら、とりあえず話を聞こうかとなりそうです。

灰色の紳士は質問を重ねます。

「どれくらい生きると思いますか?けっこう、では少なめに70歳までとして計算してみましょう。」

そして計算したら、数字を大きく書いて何重にも下線を引いて強調します。

「22億752万秒。これがあなたがお持ちの財産です。」

時間を財産と言い換えました。

なんとも巧妙に、言葉と論点をすり替えていきます。

相手の知らなかったことを提示し、魅了し、納得させ、提案し契約を成立させる。

営業をしていたころを思い出します。

灰色の紳士の質問は止まりません。

では、寝ている時間は?仕事は?食事は?デートは?耳の聞こえないお母さんの世話?

映画?合唱団?本を読む?友達に合う?車いすの彼女と結婚を考えている?

灰色の紳士は冷静に自信を持って断定していきます。

「ようするにあなたは役にも立たないことに時間を浪費して、それが一日3時間!

同じだけの数字を損失勘定のほうに入れなくてはなりませんな。」

営業をかけられている床屋のフージーさんは、ガクガクしてきます。

そして灰色の紳士は時間の無駄について語りながら、目の前でガリガリと計算式を書いて

見せつけます。そして、

「この合計がつまり、あなたがこれまでに浪費してしまった時間です。

13億2451万2千秒。これはあなたのもともと全財産の半分以上にあたります。」

こんな感じで、計算式を目の前で展開したり、下線を引いたり、計算式に手を打ちつけて

強調したり、口調に緩急をつけたり、効果的なポイントで沈黙して相手の理解を待ったり、と

灰色の紳士のプレゼンテーションは続きます。

灰色の紳士は営業のプロでした。営業はプレゼンテーションです。

相手をみて、効果を狙わなくてはなりません。

最後に灰色の営業マンは囁きます。

「1日に2時間節約するだけで、20年後、あなたは1億512万秒という大資本を

自由に使える計算になります。さらに、貴方の時間を我々に預けてくれたら

5年ごとに2倍にして差し上げましょう!」

こんな人相手では、たぶん銀行に時間も預けちゃうし、カードだって作ってしまいます。

□「時間を盗まれた大人たち」とその子供たち

「時間どろぼう」は時代なのかもしれません。

この物語では大人たちは

自分の意思で選択する機会はあったはずなのに、合理的に見えるほうへ流されて

気が付いたらその存在すら意識することなく色々と搾取されています。

灰色の紳士たちに流された大人たちは、街からは無駄を省き、裕福になりました。

効率化が進められて、同じ形の建売住宅が建てられ、日常生活は画一的になりました。

同時に、みんな不機嫌に怒りっぽくとげとげしい目つきになりました。

大人は子供なんかに構っていられないのでおもちゃを買え与えます。

そんな子供たちにモモは困惑します。

「子供たちが、そんなものをつかってもほんとうの遊びはできないような、

いろいろなおもちゃをもってくることがおおくなったのです。

たとえば、リモコンで走らせることのできる戦車-でもそれいじょうのことには

まるで役にたちません。」

モモは、その辺にある木箱や、ひとすくいの小石を使って空想力で補い、

例えばみんなで船乗りになって巨大クラゲと戦うような工夫した遊びが好きでした。

エンデは続けます。

子供たちは何時間もじっとすわったきり、それ以上のことはできないおもちゃの

虜になって、頭の方はからっぽで退屈している。

考えることを放棄したからっぽの子供たち。

□何を感じるか

『モモ』はまだまだ中盤ですが、あとはぜひ読んでみてください。

都会の子が、私の住んでいた山に引っ越してきたとき

「山の中だと何もなくてつまらない」という言葉に、すごく衝撃を受けました。

私には山の中は、季節によっても数限りない遊び道具がたくさんあったからです。

私が都会に引っ越してきたときは、逆に「与えられるものばかりで退屈だ。」と感じました。

でも、手の届く範囲に、学びたいことや未知の分野が星の数ほどたくさんあって

便利だと思います。

良い悪いということではなく、感じ方や使い方は人それぞれで

時間の浪費も節約も個人の自由です。

時間どろぼうだって、完全に間違えたことを言っているわけじゃない。

ただ、違う価値観に耳を傾けることを忘れたり、思考を放棄することは恐ろしい。

と、思ったのは「私」です。

好きに本を切り取って紹介していますしね。

当たり前ですが、

同じ文章を読んでも感じ方や得るものはそれぞれです。

時間と共に自分の中でも変わってきそうです。

こういう、他人とでも自分の中でも意見の幅のある作品は面白いし、

人にも聞いてみたいです。

「どう感じましたか?」と。

他にも『モモ』には印象的な文章や言葉があるので、

機会があれば、お手に取ってみてください。

ご高覧に感謝します☆

ネバーエンディングストーリがエンデだと気が付いたのは
大人になってからだったな。。

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