日本はいつから「日本」??
受験勉強をしている時にはあまり気にしていませんでしたが、
邪馬台国や大和政権成立の頃は「倭国」「大王(おおきみ)」だったのに
いつの間にか、さりげなく「日本」「天皇」となっていたことに気づきました。
いつの間に、だれが変えたのでしょうか。
■「日本」「天皇」になったのは7世紀後半
『新唐書(しんとうじょ)』には「咸亨(かんこう)元年(670年)」に倭国が
使節を遣わしたことを伝え
「しばしば、夏音(かおん)を習い、倭の名を悪(にく)み、あらためて日本と号す。
使者自らいう、国、日の出ずる所に近し。ゆえに名と為す。」
とあります。
この使節を遣わしたのが、天武天皇なのです。
天武天皇が国号を「日本」に、称号を「天皇」(※)と変えました。
その頃には大陸から書物もたくさん届いていたので、漢字「倭」の意味を知ったのでしょう。
「倭=背が低くてなよなよしているよね」という意味だということに。
道教にハマっていた天武天皇は、国の威厳を取り戻すべく国号の変更を考えます。
太陽の昇るこの国こそ、神仙思想でいう東方海上の神仙の住まう仙境(※次章参照)だ!!
この国は「ひのもと」であり、道教の最高神 北極星の化身「天皇(てんこう)」が私だ!!
という意味を込めて「日本」「天皇」という称号・国号をつけたのでしょう。
このころ、半島の国際情勢は緊迫していて、九州防衛や国際的な政治は当時の日本にとって
最重要事項だったので、半島の敵「新羅」にマウンティングを仕掛けていたという意味もあるようです。
※十数年前、初めての「天皇」表記がある木簡が発見され、天武が天皇が名乗ったことがわかりました。
参考:http://www.nara-np.co.jp/special/takamatu/vol_02a_01.html
■神仙思想とは
中国の道教の流れを汲む思想で、封神演義や西遊記の世界観です。
その神仙思想では、東の海上(海中)には神仙が住まう仙境が5つあるとされています。
蓬萊・方丈・瀛州(えいしゅう)・岱輿(たいよ)・員喬(いんきょう)で岱輿と員喬は
流されてなくなってしまったとか。
そこでは不老長寿の仙人が、お花畑でおいしい桃を食べ、お酒をのんで面白おかしく過ごしています。
「天文・遁甲によし(天体現象に詳しく、星占いができた)」と言われた天武天皇の
諡号(おくりな・しごう/死後の天皇の名)を「天淳中原瀛真人(あめのぬかはらおきのまひと)」
といいます。
「瀛」の字をみると日本に「瀛州(えんしゅう)」を見ていたのかもしれないと思っています。
■ところで天武天皇って誰だっけ
キーワードだけあげるとすれば以下のような感じでしょうか。
「あさきゆめみし」という漫画が好きでしたがあれは完結したのでしょうか。
・壬申の乱 :天智天皇の弟(天武天皇)vs 息子(大友皇子)
・嫁は最強の女 持統天皇
・『古事記』編纂を命令
・飛鳥浄御原宮を造営
・白鳳文化
■おわり
ちなみに『古事記』のなかでは「日本」と名付けたのは饒速日命(にぎはやひ)とされています。
『古事記』や『日本書紀』が神話じゃなくて歴史書と言われる理由を
またの機会があれば記事にしようと思います。
ご高覧に感謝します☆