豊臣秀吉 日本最初の人間神だった
本日3月17日は豊臣秀吉の誕生日だそうです。
下層民の出身ながら、織田信長の元では「はげねずみ」と呼ばれながらも
めきめきと頭角を現して最後には天下を治めるまでに出世した
あのサル顔戦国武将のちょっと別角度のお話です。
□初の人間神 豊臣秀吉
意外かもしれませんが、一般的に一番最初に神様になった「人間」は、
豊臣秀吉(豊国大明神)だとされています。
と聞くと、他にもたくさん個人名を冠した神社があったような気がしますが、
北野天満宮(菅原道真)・白峯神宮(崇徳天皇)・神田明神(平将門)を
はじめとする諸々の神社は、「怨霊」を鎮めるための神社とされています。
色々な分け方がありますが、性質で分けると
ざっくりと、記紀(神話)系・自然系・人神系とあって
人神系の小分類として怨霊系・その他として続き、豊臣秀吉はその他に分けられます。
個人や村単位で先祖や功労者を祀ることは『続日本紀』に載るほど昔から
多くありましたが「国家」が人を神として認定したのは
豊臣秀吉が初めてのようです。
□人系の神様とは 怨霊編
国が歴史を記し始める前の時代から、怨霊は国家に向かってガンガン祟ってきました。
歴史上初めて記載される有名な怨霊は、奈良時代の長屋王ではないでしょうか。
このころの怨霊は、「国家」を祟ります。
3つの理由が考えられます。
前提として、自然災害や病気は防げないし、原因が特定できない部分が多々
あっただろうことがあります。
1つ。
朝廷の誰かがライバルに無実の罪を着せて、理不尽に遠くに流したり、
殺すようなことをするから、うしろめたい気持ちが祟りと結びつく。
2つ。
当時の政権に不満がある人たち(民衆含む)が、リコール制度もないし
下手なことを言えない代わりに、裏切られた人が死んだ場所が光った!
病気が流行った!首が都に向かって飛んで行った!
とそれらしい話を作って「たたりだー。お前らは祟られてる~」と
プレッシャーをかけていた。
3つ。
都の内部にいる人たちは無実の人が罪を着せられたことを知っていても、
おおっぴらには言えないから物語として本にしてみたら、それっぽくなった。
歴史書をみていると
配流された菅原道真も心穏やかにお世話になった前天皇への
感謝の気持ちを綴っているし、崇徳上皇も写経しながら
めそめそしているだけだったりします。
本人より、周囲の人たちが悔しかったり、民衆が国を恨んでいたりした結果が
怨霊という形になったのでしょう。たぶん。
□怨霊退治のエキスパート
奈良時代は仏教が流行ったので、怨霊を慰めるために写経したり寺を建て
平安時代には最新科学の陰陽道が流行り 安倍晴明をはじめとする陰陽師が
怨霊対策に走り回っていました。
怨霊はエンレイと読まず、オンリョウと読むことからも日本独自に発達した概念で
法相宗の僧玄昉(げんぼう 700年くらいの人)が怨霊鎮圧の第一人者として活躍し
平安時代にも基本的にはずっと仏教主体で怨霊を鎮撫(ちんぶ)してきました。
陰陽道がその場で怨霊を抑え込む「調伏」をするのに対して
仏教は道理を言い聞かせて怨霊を説得し、怒りを治めてもらい成仏させる根治が
できたからです。
即効作用のある陰陽道と、根治治療の仏教。
場合によって使い分けていたのでしょう。
□人の神様とは 人間編
そんな感じで、けり落としてきた政敵の怨念におびえ続けること数百年。
室町時代まではいろんな怨霊が跋扈し、坊主たちが走り回って
怨霊の説得にあたっていました。
けど、それも戦国時代を迎えることで変化します。
祈るばかりでは戦に勝てないし、蹴り落としたり斬った相手を気にしている暇もなし。
自然災害や病の流行よりも人間が怖いとなれば
合理的な戦略や兵力の強化が最重要事項となり、相対的に神の地位は下がりました。
秀吉の時代になると、
人間が神と同格になることに違和感がなくなっていったのでしょう。
□豊国(とよくに)神社とは
京都の東山区にあります。(大阪や愛知の他、各地にあります。)
現在は出世開運の神社となっているようです。
本人は、国家鎮護のための方広寺の鎮守として武神「八幡」様として祀ってほしいと
遺言したのに、死後のもろもろを処理していた徳川家康によって
「豊国乃大明神(とよくにのだいみょうじん)」とされてしまったようです。
好意的に解釈すると、『古事記』や『日本書紀』では日本は
「豊葦原瑞穂国(とよあしはらのみずほのくに)」等の呼び方をされていたので
家康は尊敬する秀吉(人神)に、神様要素を追加したのでしょうか。
やはりライバル秀吉の意向など、捻じ曲げてやったのでしょうか。
よくはわかりませんが、秀吉の息子 秀頼の代(大坂の陣)で豊臣家が滅ぼした際に
徳川家康により豊国神社は廃絶にされてしまいました。
戦国時代の戦いでは武力衝突で恨みっこなし、怨霊も姿を消したのでしょう。
現在東山にあるのは、明治時代に明治天皇のご沙汰書によって再興されたものです。
□おわり
現在では宗教というとちょっと敬遠されがちですが
奈良時代に記紀が編纂され、仏教が台頭し、そのうちキリスト教が伝来し…と
為政者たちにもがっちりと何かしらの宗教が影響を与えています。
そういう日本の思想や宗教部分を排除した歴史は一部でしかない気がしています。
私自身にはお墓や仏壇以外には特定の宗教はないし、特に信仰もありません。
かといって無神論者かというと、クリスマスにも参加するし、座禅も興味あるし
武道場では神棚に向かって礼もすれば、苦しいときには積極的に神頼みもします。
八百万の神はいてもいいと思うし、自然への漠然とした敬う・恐れる・畏怖するといった
感情も持っていて、多くの日本人もそんな感じだと思います。
学校で習う歴史は、宗教関連をシャットアウトしすぎていると感じます。
怨霊とか幽霊とかおもしろい逸話も多いのに。
そんな感じで歴史の中の宗教観やら逸話みたいなものを
これからもつらつらと書いていこうと思います。
ご高覧に感謝します☆
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